神戸で知的障害のある母親と、その兄弟から虐待を受け、6歳の男の子が亡くなる痛ましい事件がありました。
男の子の母親と、弟のあいだには男女関係もあったようで、男の子を殺害直後に遺棄しに行くときも、手をつないで楽しそうに出かけた画像も出ています。
殺害事件の4兄弟には、皆、知的障害があり、彼らの母親にも障害があったようで、幼い頃には虐待を受けていたとのことです。
なんという、おぞましさでしょうか。
想像するだけで、やりきれない気持ちになります。
殺害された男の子にも、発育遅滞があったようで、おそらく彼にも知的障害の遺伝があったのではないかと思われます。
男の子は本当にかわいそうですが、もし、今回、死を免れたとしても、これから先、苦痛に満ちた生活が続いていたことは間違いないです。
行政の不備を批判する声もありますが、この男の子を保護することができたとしても、全国にいる虐待される子供をすべて保護することは、100%不可能です。
さまざまな意見があると思いますが、生まれても確実に不幸になってしまう命は、残念ながらあると思います。
そして、それなら、生まれないほうがましだと思います。
親が健常で、一生懸命働いて、自分なりに子育てをしても、それでも不幸な結果になってしまうことはありますが、それとは全く別のことです。
うまれた子供に、予期せぬ障害があった場合も別のことです。
私が思うのは、高い確率で、知的障害が遺伝するのは確実だし、知的障害がある親が子育てをするのは、無理だということです。
これもまた、周囲のサポートがあれば大丈夫、とか、行政が寄り添えば、という意見もでますが、最初から特別なサポートがないと子育てできないならば、産まないのが、1番です。
そのような人ほど、後先考えずに、繁殖してしまうので、強制不妊手術は必要だと思います。
人権問題といいますが、不幸になるに決まっている命は、うまれないようにした方がはるかに人道的だと私は思います。
キシダさんにも聞いてみたいところですが、異次元の少子化対策を行うといっても、育てる能力がない100%特別な支援が必要な親のもとに、明らかに高い確率で知的障害がある子供が1000人うまれるのと、もしかしたら一定の割合で障害のある子供がうまれるかもしれないがふつうの範疇の親のもとに普通のサポートをすればよい子供が1人うまれるのと、どちらが望まれているでしょうか。
親に障害がないにしても、そもそも子供がいて、自力で生活する経済力がなく、生活保護を受けていている状態で、新しい子供をもつという選択がまず理解不能です。
ましてや知的障害があり、自分自身の生活すら、さまざまな支援を受けないと成り立たない人は、子供をもつという責任を考えることも無理なのは明らかです。
生活保護を支給する際には、一時的な支給ですむ場合は別ですが、不妊手術を行うこともセットで行えるようにしたらよいのではないかと思います。
今、いる障害のある人がいなくなればよい、という趣旨ではありませんので、ご了承ください。