日曜日の今朝、私は本を読みながら、猫とだらだらしてくつろいでいました。
すると、インターホンがなり、カメラで確認すると、驚きの訪問者の姿ありました。スーツを来た男性で、カメラごしに私に、礼儀正しい挨拶をしています。
それは、私が学生のころ、好きだった人でした。
小学生くらいの子供を2人連れていますが、子供たちもスーツ着用です。
このシチュエーションだけでおわかりのかたもいらっしゃると思いますが、そう、彼らは、ものみの塔(エホバの証人)の布教活動で、家を一軒づつ、訪問している最中なのです。
ふだんは、私は一切の宗教の布教訪問は、完全無視します。
私は、彼が妻子とともに、近所を歩いているのを見かけたことがあるので、もしかすると、このへんに引っ越してきたのかもしれない、とは思っていました。
そして、いつか、私の家とは知らないで、私の家に伝道(布教活動)に来る日があるかも、とは薄々想像したことがありました。
彼「わたくし、このあたりでボランティア活動をしております〇〇と申します」
私は、迷った末、このように答えました。
私「…〇〇くんでしょ。△△(私の名前)です。久しぶり。外に出ていったほうがいいの?」
彼「ああ、やっぱり。もしかして表札を見て、そうかもしれないとは思ったんだよ」
そして、私は化粧もしないまま、玄関をあけ、久しぶりに、彼との対面をはたしました。
2人の子供のうち一人は彼の子供で、もう一人は、別の信者の子供ということです。つまり、2世です。(正確に言えば、私の好きだった人はお母さんが信者なので、2世で、彼の子供は、3世になります。)
彼の子供が、父である彼と、私の会話を聞き、お友達なの?と聞きます。彼に似た賢そうな人懐こい子供です。
私と彼はしばらく立ち話をしましたが、聖書の話はしませんでした。
私「まだ、この子たちもまわるの?」
彼「いや、この子たちは、今日は、これで終わり。(布教活動には)風当りが強いから、まだ子供だしね」
信仰の問題は難しいですが、物心つく前から、日曜日に、大人につれられて、おそらくは冷たい扱いを受けながら、伝道する子供たちを見ると、なんともいえない気持ちになります。
彼は昔から、心が優しく、人の心を敏感に察知する人でしたので、私が考えていることがわかったのかもしれません。
彼「ふつうの子供たちでしょ。ふつうの子供なんだよ」
私「そうだね。寒いのにがんばっているね」
そして、私は、一度部屋にもどり、チョコレートとジュースを子供たちに渡しました。
大袋に入ったままのリンツチョコレートを、食べたいだけどうぞ、と子供に差し出すと、ニコッとして、遠慮なく、たくさん掴んだのに、なぜかほっとしました。
もう一人の子供は、彼の子供より年長だったので、遠慮して、少ししか、とりませんでした。
伝道するエホバの証人の人を見ると、幸せとは何なのか、いつも考えてしまいます。
彼らがあると信じている死後の楽園。
信者だけが行くことができる死後の楽園。
あるかないかは、知りませんが、死んだら楽園に行ける、と信じることができるのは、幸せなのかもしれないと。