先ほど、記事を書いたなかで、ちょっと書きたりないところがありました。
私は16年前に購入したシチズンのソーラー電波腕時計を毎日愛用しています。
腕時計は、現在3本保有していますが、出勤する日は、必ずシチズンのソーラー電波腕時計です。
ソーラー電波腕時計は、大変な優れものです。
電池交換も不要で、時間も電波で調整されますので、1秒もずれることは、ありません。
…と断言したいところですが、この3ヶ月くらいの間で、約1分弱の遅れが出てきました。
しかし、それまでは、本当に、正確な時間を私に知らせ続けてきてくれたのです。
私の頭の中には、あの有名な童謡が流れるのです。
平井堅も歌っていた、おじいさんの時計の歌です。
おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計で、100年休まずにチクタクしていて、真夜中にベルを鳴らして、おじいさんの臨終を皆に報せた時計の歌です。
私のシチズン時計は、生まれた日に買ってきた時計ではありませんが、ずいぶんと長いこと、私とともに歩んできました。
私がソーラー電波腕時計を選んだのは、社会人たるもの、1秒の狂いもない時間を知るのは、スケジュール管理の基本である、と考えたからなのですが、今はもはや、そのような考え方には疲れました。
時計に、1分弱遅れが出ても、もう構わないのです。
この時計は1分弱遅れている、と私が知っていれば、それでじゅうぶん事はたりるのです。
ソーラー電波腕時計の寿命がどのくらいなのかは知らないのですが、なんとなく、私がセミリタイアをする(と決めている)2028年3月になったら、止まる気がします。
1分弱の遅れは、もっとのんびり生きるように、という、時計からのメッセージであるように思えてなりません。